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岡城 (下野国) : ウィキペディア日本語版
岡城 (下野国)[おかじょう]
岡城(おかじょう)は、栃木県矢板市大字片岡小字梶ヶ沢にあった日本の城平安末期築城、文禄4年(1595年)2月8日廃城。

== 沿革 ==
平安時代の末、塩谷郡を支配した堀江氏(源姓塩谷氏)の重臣岡四郎兼春により築城される。低い独立丘に作られた城で、平城山城の中間的な丘城である。東を流れる内川と南を流れる江川を天然の要害として、空堀と土塁で固めた簡素な城で、代々、塩谷氏の重臣岡氏の居城として機能した。城は、片岡地域の中心部より離れたところに築かれており、片岡の支配には不便な場所にあるが、これは、片岡の一部が東大寺の領地であったためで、片岡が寺領として中立地帯にあったためである。
岡城は、主君塩谷氏の居城である川崎城の東南方向にあり、戦国時代においては、那須氏からの侵攻に備える城として位置づけられていたが、城の規模は大きくなく、長期の籠城に耐えられる構造でもなく、本城である川崎城と他の支城とを連絡し、また救援し、一時的に敵を食い止める程度の砦として機能していたと考えられている。そのためか、岡城が落城したか単に通過されたかは不明であるが、川崎城と岡城の中間にある木幡原や富田原などでの塩谷勢と那須勢の戦の記録〔塩谷氏の重臣大沢氏の記録である大沢家記に天正5年(1577年)3月15日木幡原合戦、同年8月5日富田原合戦の記録あり。〕が残っており、何度か岡城の防衛線は那須勢に突破されていた。
戦国末期の城主として岡民部兼貞(兼定)の名が残り、塩谷氏の重臣として活躍するが、文禄4年(1595年)2月8日に塩谷氏が改易されるとともに城は廃城となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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